築地市場が83年の歴史を閉じ、新たに豊洲市場へと移転

世界最大級の規模を誇った東京都民の台所、築地市場が2018年10月6日に閉幕しました。江戸時代から続いた歴史と食文化を支えてきた築地市場は、江戸時代から日本橋魚河岸を中心とした市場群から発祥したとされ、1923年の関東大震災において壊滅的な被害から再建、その後神田川や汐留の川沿いに渡る水運と陸路を流通経路とし、旧外国人居留区で現在の築地地区に当たる場所から築地市場の歴史が幕を開けたとされています。

一日の水産物取扱量は2005年 のデータで2,167トン、青果1,170トン、全品目合計で約916,866トン、金額にして約5657億円(一日当たり水産物1,768百万円、青果320百万円)に上るそうです。-wiki調べ

東京市中央卸売市場として正式に開設されたのが1935年(昭和10年)。したがって「83年の歴史に幕」というのはこの日が起点となっています。
1954年(昭和29年)には、アメリカ軍が水爆実験を行ったビキニ環礁で被ばくにあった第五福竜丸が積んだ魚が築地におろされ、築地市場は大困難に陥ったそうです。当時の被ばくした水産物は場内の地中に埋められ、「原爆マグロ」の塚が建てられていました。
1995年(平成7年)には、記憶にも新しい「地下鉄サリン事件」が、最寄りの「築地駅」で発生し、多数の被害者を受け入れた聖路加国際病院は野戦病院と化して一日中市場とともに大混乱に陥りました。
2000年(平成12年)の暮れに、都営地下鉄大江戸線全線開通と同時に築地市場駅が開業。
そこからさらに17年後の2017年(平成29年)、中央卸売市場を新市場へ引継ぐ計画で豊洲市場が開場しましたが、豊洲市場の土壌汚染問題により延期されました。

様々な問題を抱えながらも築地市場2018年10月6日の歴史に幕を下ろしました。
最終日のマグロ最高値は438万5千円(大間産162.4キロ)!

2020年2月には解体工事が完了する予定で、東京オリンピック・パラリンピックの輸送拠点となることが決まっています。

さてこれからの築地市場ですが、東京都でも第一級の立地と広大な土地をどのように活用するか。「築地は守る、豊洲は生かす」と発言し、「食のテーマパーク機能を持つ一大拠点に再開発する」という話もありましたが、年間100億円ともいわれる赤字をどう解消していくのか、すでに豊洲で6000億もの巨費を投入したものの、移転後の計画にも多くの問題が山積しているようです。
世間は既に東京五輪ムード一色、築地から豊洲への移転問題はもはやその一部といった風潮も出始めていますが、都民にとっても国民にとっても大切なのは食と経済の活性化。
これから始まる豊洲市場と、歴史ある築地市場跡をどのように活かすのか、こちらの方が生活者としては大事なのではないかと考えます。

さて、新しく都民の台所となる豊洲市場ですが、正式オープンは日本の伝統である大安にちなみ10月11日。一般の方が入れるのは、2018年10月13日(土)から。初日のみ10時からは入れるそうですが、それ以降の利用時間帯は5時〜17時となります。
豊洲市場には見学ツアーもあり、新たに生まれ変わった世界最大級の市場の様子や、水産仲卸売場棟の屋上に設置された「屋上緑化広場」に早くも期待が集まっています。

築地市場跡

豊洲市場

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